ハムレットの世情日記

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zoom RSS 【雑記帳】大奥女中は高給取り

<<   作成日時 : 2009/11/12 16:46   >>

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大奥には何人くらいの女性がいたのだろうか。奥女中たちの住む長局向(ながつぼねむき)は、大奥全体の3分の2を占めていた。そこに将軍付女中、御台所女中、部屋方といわれる女性が、少ないときでも約500人。11代将軍、家斉の時代が一番多く、8代の吉宗の時が最も少なかったが、13代家定には記録が残っていて、約580人いたという。

 奥女中の多くは旗本の娘から採用された。職務は多岐にわたり、将軍付として御次頭、御客応答(おきゃくあしらい)など24の職階、御台所付には中年寄、御茶之間など19もの役職があって、御年寄などの老女と呼ばれる管理職が第一の権力者だった。しかし、老女とは呼ぶものの、現代で考える老人だったわけではなく、キャリアを積んだ女性が務めていた。年俸も円換算で3300万というから、奥女中はおおむね高給取りだった。

 NHKドラマ「篤姫」のなかで、篤姫(天璋院)が島津家から13代将軍徳川家定に嫁いだ際、篤姫付の老女として江戸城大奥に入った「幾島」が役目を終えて退職するシーンがあったが、女1人で大奥を辞めてこれから生活をどうするのだろうと思っていたが、3000万前後の年俸であれば貯蓄も相当あったわけだ。


 ちなみに、薩摩藩主島津斉彬の養女篤姫(島津篤子)を近衛忠煕の養女として徳川家定に嫁がせる事が決まったとき、幾島は篤姫付きとなり、大奥に入るまでの間は教育係などを受け持っていた。その後、近衛家の家士今大路孝由の娘として篤姫(天璋院)と共に大奥に入った。大奥では、江戸城と薩摩藩との情報連絡役としても活動し、西郷隆盛を通して江戸藩邸の奥老女小ノ島と連絡をとりあい、将軍継嗣問題や薩摩藩との連携の際に重要な役目を果たした。


 男子禁制の大奥にも外と接する職務もあった。大奥の外交官といわれる表使と、剃髪した中高年女性の御伽坊主の職である。外界との行き来にハレムでは宦官だが、江戸城では性を超越した存在として僧形の者が役割を与えられていた。それでも中には住職と密通する事件も起こり、奥女中間の同性愛も当然あった。大奥に男性を連れ込まないように、大奥に運ぶ長持ちなどは厳しく重量をチェックした。

 能楽、箏曲(そうきょく)、三味線など音曲や和歌などの文芸、華やかな文化に包まれた大奥も、やがて天璋院篤姫の時代に終焉した。






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