ハムレットの世情日記

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zoom RSS 【歴史】真珠湾攻撃の企画力〜山本五十六に学ぶ

<<   作成日時 : 2009/12/10 21:10   >>

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ビジネスマンが歴史の中に何を読み解いて、そこに学び、自分のビジネスの糧としてゆくかを考えるときに、格好の素材になるのが、連合艦隊司令官山本五十六だろう。

開戦早々、敵の基幹基地を航空兵力で集中攻撃する「真珠湾攻撃」という、大勝負に出た山本五十六の企画力は一体何に基づくものなのかと思っていた。国運を懸けた真珠湾攻撃を企画実行するに当たって、土地勘のない状態で踏み込むはずがない。この人物は必ず肉眼で真珠湾を自分の眼で見ているはずだという、思いがあった。

アナポリスの海軍施設に残された資料などによると、結論から言えば、山本五十六は真珠湾攻撃を仕掛ける前に二度、肉眼で真珠湾を見ていたのである。

一度目は1909年、25歳で巡洋艦「阿蘇」に乗り込んで、練習航海としてホノルル、サンフランシスコ、シアトル、バンクーバーを訪れている。

1898年にハワイ併合を強行したアメリカは、日露戦争以後、日本を太平洋方面における将来の仮想敵と意識し始めて、1908年から真珠湾に海軍基地を建設し、補強を進めていた。山本五十六は基地の拡充が急ピッチで進む真珠湾のロケーション、地の利をまず眼に焼き付けたのだ。

それから四半世紀が経過した34年、山本五十六はロンドン軍縮会議の予備交渉に海軍首席代表として出席した。これが二度目のチャンスで、アメリカ経由の旅程を組み、わざわざハワイに立ち寄り、真珠湾の地形に対して「鹿児島湾に似ている」という感想も残している。

山本五十六は、フィールドワークを重視する人物だった。駐在武官として勤務していたワシントン時代、彼は後輩に対して「駐在員が三度の飯を食おうなどと思うのはもってのほかの贅沢だ。三度の飯を二度にしてでも倹約し、その金でアメリカを見て歩け」と語っていた。

そして自らも驚嘆すべき行動力でアメリカを調べ歩いた。自費の貧乏旅行でメキシコまで足を延ばして油田を見にいったほどだ。途中、ボロボロの格好で歩いていたらメキシコの官憲に怪しまれ、日本の軍人だと説明しても信用されず、ワシントンの日本大使館に身元照会の電信が送られてきたというエピソードも残っている。

91年、テキサス州ヒューストン在住の日系人のゲストブックから山本五十六のサインが発見されたというニュースが報道された。これで、テキサスまで油田を見にいった伝説が証明されたのである。

山本五十六はアメリカで漫然と見聞を広げていたわけでない。明快な問題意識を持って、2つの切り口を決めてフィールドワークを行っていた。

そのキーワードとは「石油」と「航空機」である。山本五十六は石油と航空機が日本の死命を制する大きな鍵になることを強く意識していた。だから油田や製油所を訪ね、航空機についても生産現場のフィールドワークと文献研究に打ち込んだ。そしてそれらが、すべて真珠湾攻撃の伏線になった。

企画力というのは、経験と努力の延長線上に一瞬の閃きとなって開花するものだ。山本五十六の卓抜した企画力の源泉は、石油と航空機という切り口で問題意識を収斂してゆく鋭敏な感性であり、足腰の労を厭わない徹底的なフィールドワークだった。その2つがスパークして、真珠湾攻撃という途方もない構想が生まれたのである。

情報を足で集め、五感で切り口をみつけて問題を解決する人こそ真のリーダーである。






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