ハムレットの世情日記

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zoom RSS 【明治維新】    近代日本の出発点 

<<   作成日時 : 2010/10/13 22:17   >>

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   【明治天皇】
 龍馬らが描いた議会政治よる近代日本の出発点は明治維新である。
ちなみに、日本史上の近世は太閤検地から明治維新までをいい、明治維新以降を近代と分類される。
日本の歴史上、特に近代史に於いて明治維新は最も感心の高い分野だ。明治維新は、近代日本の出発点となった大改革であり、日本は明治維新によって「近代化」の第一歩を踏み出した。この近代化とは、西洋の知識、制度、技術などの導入を通じて西洋化し、欧米列強に肩をならべる国家を築きあげることを主眼とした。

 天皇を頂点とする中央集権的統一国家体制の成立、自由民権運動、立憲制、議会主義など、日本資本主義の出発点が明治維新によって見い出される。

 明治維新において、日本の歴史上はじめて人民衆が政治生活に積極的に参加して政治的社会的変革を成し遂げ。また、日本人の単一不可分の国家的統一を成立させ、能率的な中央集権の統治機構をつくり上げ、欧米列強の半植民地的地位からの民族解放を勝ちとる第一歩を踏み出すなど、それまでの日本の歴史上のいかなる変革にも勝る重大な進歩的意義がある。

 他のアジア諸国のほとんどが、いづれも欧米列強の植民地ないし半植民地と化したのに対し、日本だけがそれを免れて民族の独立、近代国家の形成を達成したことは特異な点である。これは、当時の時代性と国の立地条件、日本固有の民族性などさまざまな要因がからみあって成立した歴史として今でも国内外で研究が深められている。


【明治維新のあゆみ】

 大河ドラマ「龍馬伝」は大政奉還で終わっているのでその前後を少し述べてみたい。

 17世紀の後半、江戸幕府による封建性の復興を目的とした幕政改革の過程を経て、いわゆる農民に対する抑圧組織としての幕藩体制に諸矛盾が表われた。幕府最後の改革である天保の改革(1841〜43)も2年あまりで失敗、農民一揆は質・量ともに発展してゆき、幕藩体制を揺るがす大きな力となっていた。

 このように幕藩体制の危機が深まりつつあるとき、アメリカやヨーロッパが貿易を求めて幕府に開国を迫った。1854年ペリーの来航によって日米和親条約が締結され、これにつづいてヨーロッパ諸国と和親条約を締結し、1858年、日米修好通商条約以下諸条約(安政条約)を締結して国を開いた。200年余りにわたって続いた鎖国政策の崩壊と共に、江戸幕府の屋台骨は大きく揺らぎ、鎖国によりかろうじて保たれていた日本封建社会は、開国とともに経済的にも政治的にも急速に崩壊し始め。幕藩体制は、天保改革の失敗した1840年代にはすでに危機に瀕していたが開国がそれに決定的な打撃を与えた。

 幕府は、国内外から起こる激しい動きに応じきれなくなり、一般人民にも意見を述べさせた。人民が国家の基本方針に言及したのは、日本歴史上はじめてのことであり、ここにも幕府の衰退、人民地位の向上が反映している。一方薩摩藩や長州藩では、藩の改革に成功して財政にゆとりができ、下級武士たちが次第に実力を持ち始めていった。1866年(慶応3年)2つの藩は、土佐藩の坂本龍馬の取り計らいで薩長連合の同盟を結び、倒幕へと向った。この当時、倒幕の思想的要因にはそれぞれの環境により差異があり、攘夷派、倒幕派など、様々な立場による思想がからみ合いながら「尊王攘夷」という流れを形成した。
 
 こうして、幕府を改革し、幕府を中心とする挙国一致を実現しようとする道は完全にふさがれ、これに反する形で主君には従わず同志を集結し、大名をのりこえ、政局の第一線に進出しようとする改革派がではじめた。このように政治改革に志した人々を「志士」と呼ぶ。

 1868年(慶応3年)倒幕派はクーデターに成功、長い間続いた江戸幕府の鎖国政策から王政復古へと変わり、薩・長を中心に高まる「尊王攘夷(尊王討幕)」の声の前に最後の将軍徳川慶善が朝廷に大政を奉還して、天皇制が組織され、次の時代へと移る。

 新政府は1868年(明治元年)、「五箇条の御誓文」を公布して新政の基本精神を明らかにし、近代国歌の確立に力走した。新政を進めるために首都を京都から江戸に移し、呼称も東京と改め、中央集権に向けて、これまでの藩を廃止して県を置く廃藩置県や身分制度の変革、地租の改正など各種の政策を打ち出していった。

 このように明治維新は、どの段階に於いても中下級武士層、民衆の反封建闘争の高まりと欧米列強による日本半植民地化の危機に対抗する民族的自覚の成長とによって推進され、かつ日本社会の資本主義的方向への発展を基礎として成就された。

 明治政府は、資本主義社会の育成を根底として、行政、軍事、社会、経済、教育、文化に至るまであらゆる方面にわたって大改革と構築を行った。こうして官僚独裁のもとに西洋の近代文明の物質的成果が、急速に学びとられた。西洋文明の摂取、いわゆる「文明開化」は民族の風俗にも及び、「ざんぎり頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」などともてはやされた。しかし、このような風俗や教育など全てにわたって政府の強制のもとに施行され、上からの近代化が下からの近代化を圧倒した。

 こうして明治維新以降の官僚独裁的な西洋文明摂取は、当時の支配に反対する人民の立場に立った理論・思想も芽生えさせ、自由民権運動、立憲制による新たな天皇制の確立へと移行したのである。









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