ハムレットの世情日記

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zoom RSS 【龍馬伝】   その後のお龍

<<   作成日時 : 2010/11/04 22:09   >>

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 大河ドラマ「龍馬伝」は終盤に入ってきた。隠れキリシタンが長崎奉行にバレた長崎芸者お元を英国に逃がした龍馬は土佐藩主山内容堂を動かし大政奉還を徳川慶喜に進言させ受け入れさせる。その後暗殺される・・・

 大河ドラマには出てこない龍馬死後のお龍はその後はどうなったのだろう? 

 坂本龍馬が中岡慎太郎とともに暗殺されたのは慶応3年(1867)11月15日だが、その時お龍は亀山社中の活動拠点のあった下関におり、龍馬が亡くなった知らせがお龍に届いたのは12月2日とのことで、お龍はしばらく気丈に振る舞っていたが、法事を済ませ髪を切り落として仏前に供えて号泣したと言われている。

 その後お龍は、龍馬と親交のあった三吉慎蔵らの世話になっていたが、明治元年(1868)3月には土佐の坂本龍馬の実家に迎えられるも、義兄の権平夫婦とそりが合わず3ヶ月ほどで立ち去っている。

 その後海援隊の菅野覚兵衛と結婚した妹・起美を頼るも、覚兵衛の米国留学が決まったために明治2年(1869)に土佐を離れ、その後は元薩摩藩士の吉井友実や元海援隊士の橋本久太夫の世話になった。一方で龍馬の家督を継いだ坂本直は、訪ねてきたお龍を冷たく追い返したそうだ。

 元海援隊士の間ではお龍の評判は悪かったらしく、田中光顕(元陸援隊士で宮内大臣まで出世)の回顧談によると、瑞山会(武市半平太ら土佐殉難者を顕彰する会)の会合で、お龍の処遇が話題になった際に、妹婿の菅野覚兵衛までが、「品行が悪く、意見をしても聞き入れないので面倒は見られない」と拒否したらしい。
お龍は後年、腹の底から親切だったのは西郷と勝そしてお登勢だけだったと語ったそうだ。

 明治7年(1874)に旅館の仲居として働いた後、明治8年(1875)に西村松兵衛と再婚して西村ツルとなり、母の貞を引き取り妹の子・松之助を養子として横須賀で生活を始めるのだが、明治24年に母と松之助を相次いで亡くしている。

 その後、坂本龍馬の活躍を書いた坂崎紫瀾の『汗血千里駒』がベストセラーになったこともあり、お龍にも取材が来るようになるのだが、明治30年に安岡秀峰という作家が訪ねた時には、お龍は横須賀の狭い貧乏長屋で暮らしていたそうである。

 晩年はアルコール依存症状態で、酔っては「私は龍馬の妻だ」と夫の松兵衛に絡んでいたという。

 その後、妹・光枝が夫に先立たれてお龍を頼るようになり3人で暮らし始めるが、やがて夫の松兵衛と妹・光枝が内縁関係となり、二人でお龍の元を離れて別居してしまう。

 お龍は明治39年1月に横須賀の棟割長屋で亡くなった。死因は脳卒中だったらしい。(享年66歳)

 墓は横須賀市大津の信楽寺(しんぎょうじ)にあるが、長く墓碑が建てられず、田中光顕らの援助を受けて、お龍の死後8年の大正3年(1914)に、妹の中沢光枝が施主、西村松兵衛らが賛助人となり、お龍の墓を建立したという。







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