ハムレットの世情日記

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zoom RSS 『坂の上の雲』  真之の妻〜秋山季子(稲生季子)

<<   作成日時 : 2010/12/24 16:24   >>

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NHKドラマの『坂の上の雲』 もいよいよ日露海戦へと話が進んでいく。この海戦の作戦を考えた秋山真之の妻となった稲生季子は愛知県豊田市出身の宮内省御用掛稲生真履(まふみ)の三女として生まれる。
華族女学校に通う才媛である。

1903年(明治36年)の春、季子は義兄の青山芳得少佐に連れられて、築地の水交社の催しに出席した。
その時、李子(すえこ)を見た八代六郎大佐は、

「清らかですっきりした、気立てのよさそうなお嬢さんだ」

と、とても気に入り、早速に稲生家を訪ねる。

「ご令嬢とのご良縁に」

と、八代は海軍大学校教官秋山真之との縁談を持ち出したが、 父・稲生真履は、

「軍人に娘はやらない」

と云って断った。

しかし、娘婿の青山少佐が、

「秋山ですか。私のクラスの首席です。外国にも留学した秀才です。あいつが義弟になるのか、弱ったな。 でも、そうなれば嬉しいですね」

と云ったので、安心した稲生氏は、「軍人にやるなら秋山の外にはない」 と云って結婚が成立した。 真之36歳、李子21歳の時である。

明治36年6月2日、二人は水交社にて結婚式を挙げる。媒酌人は侯爵佐々木高行。真之はシャイなのか、若い妻に対しては少しぎこちなく、それでいて尊大な態度を見せていたようである。

二人の間に五人の子供を儲けたが真之が五十一歳の若さで急逝した為、真之の兄・好古が季子と五人の子供の面倒を見たという。


長男・大(ひろし)は仏教美術研究に没頭し「現世信仰の表現としての薬師造像」や「古代発見」の著書を残すが早世、次男・固(かたし)は季子の姉夫婦(青山芳得大佐夫婦)の養子となり、三男の中(ただし)は真之が最期を迎えた別邸を提供してくれた友人の山下亀三郎(山下財閥創始者)の山下汽船取締役となり財閥解体後の山和商船の社長となる。次女の宣子(たかこ)は海軍中佐・大石宗次の妻となりその長女が現・民主党衆議院議員の大石尚子である。

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